「自己の構築」の再検討 |
河合 亨 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
論文 |
アイデンティティのパフォーマティヴィティに「関する社会学的研究 ―― 「中国残留日本人」の呼称と語りを手がかりとして ―― |
南 誠(梁 雪江) |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
論文 |
「始末書」にみる〈学生〉カテゴリーの実践 ―― 明治三十年代における「学生であること」の記述可能性 ―― |
加藤 亜希子 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
研究ノート |
社会学の問い方への問い |
天田 城介 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
DOING SOCIOLOGY |
東アジア近現代における人の国際移動 |
蘭 信三 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
視点 |
今津孝次郎著『人生時間割の社会学』 |
新 睦人 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
書評 |
坪内良博著『東南アジア多民族社会の形成』 |
田中 重好 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
書評 |
木下昭著『エスニック学生組織に見る「祖国」 ― フィリピン系アメリカ人のナショナリズムと文化 ― 』 |
日下 渉 |
55巻1号(168号) |
2010年05月 |
書評 |
〈コミュニカティヴな身体〉のために ―― B ・ S ・ ターナーとA ・ W ・ フランク ―― |
松尾 信明 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
論文 |
職業生活の充実の構造 ―― 職業の「共同性」に注目して ―― |
山本 圭三 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
論文 |
一九三〇年代の高等女学校と旧制中学校における模範生徒像 ―― ジェンダー規範に着目して ―― |
土田 陽子 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
論文 |
エスニック・マイグレーションにおける記憶の政治学 ―― 神戸在住日系ブラジル人の事例から ―― |
エルナニ オダ |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
論文 |
スポーツ選手の引退に関する一考察 ―― 日本野球独立リーガーの場合 ―― |
小丸 超 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
論文 |
地域福祉政策実践のパラダイム比較 ―― モースの贈与論の視角による社会学的理解 ―― |
山本 馨 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
研究ノート |
研究における四つの根 |
谷本 奈穂 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
DOING SOCIOLOGY |
テレビカメラが大衆である |
竹内 洋 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
視点 |
内田良著『「児童虐待」へのまなざし ― 社会現象はどう語られるのか ― 』 |
上野 加代子 |
55巻2号(169号) |
2010年10月 |
書評 |
失業リスクの趨勢分析 ― 非正規雇用拡大の影響と規定構造の変化に注目して ― |
阪口祐介 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
論文 |
日本のインテンショナル・コミュニティ(Intentional Communities) ― 歴史的展開と現代的意義 ― |
田恩伊 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
論文 |
日本の高校トラックと社会階層の関連構造 ― PISAデータを用いて ― |
多喜弘文 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
論文 |
インターネットを介した精神疾患を患う人々のセルフヘルプ ― 流動的な携帯の活動を中心に ― |
前田至剛 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
論文 |
香港・韓国障害者差別禁止法の立法過程における「後発性」の問題 ― 国際連合と国際的な市民社会に焦点を当てて ― |
後藤悠里 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
論文 |
病いをめぐる不確かさとその軌跡 ― 小児がんの子どもを持つ親を事例として ― |
鷹田佳典 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
研究ノート |
計量テキスト分析の提案と必要なソフトウェアの開発 |
樋口耕一 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
DOING SOCIOLOGY |
職業としての「社会学者」 |
藤井和佐 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
視点 |
額賀淑郎著『生命倫理委員会の合意形成 ― 日米比較研究 ―』 |
柘植あずみ |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
書評 |
宝月理恵著『近代日本における衛生の展開と受容』 |
遠藤惠子 |
55巻3号(170号) |
2011年02月 |
書評 |
医薬品からドラッグへ ― 一九世紀フランスにおける阿片 ― |
渡邊拓也 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
論文 |
主婦たちのジェンダーフリー・バックラッシュ ― 保守系雑誌記事の分析から ― |
鈴木彩加 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
論文 |
物語から歴史へ ― 社会学的オーラルヒストリー研究の試み ― |
朴沙羅 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
論文 |
誌のボクシングはなぜ「面白い」のか ― 朗読ボクサーの語りにみる自己と社会性 ― |
尾添侑太 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
研究ノート |
就業における連続性への規範 |
藤本昌代 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
DOING SOCIOLOGY |
方法論のすすめ、もしくは先が見えたゴマメの歯ぎしり |
中河伸俊 |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
視点 |
神原文子著『子づれシングル ― ひとり親家族の自立と社会的支援 ―』 |
村上あかね |
56巻1号(171号) |
2011年06月 |
書評 |
遊びの面白さ ― 遊び理論におけるゴフマン社会学の位置付け ― |
小原一馬 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
論文 |
専門知と包括知 : 医療専門職におけるパラダイムの混交 ― 日本における新しい医師卒後臨床研修を事例として ― |
加藤源太 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
論文 |
一九五〇年代中国の近代化と対日協力者 ― 旅順工科大学出身中国人同窓生を事例に ― |
佐藤量 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
論文 |
ハンセン病療養所退所者の生の経験 ― 社会生活における実存の位相から ― |
本田康生 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
論文 |
われわれが災禍を悼むとき ― 長崎市原爆慰霊行事にみられる儀礼の通時的変遷 ― |
福田雄 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
論文 |
社会学につきまとう学際性が可能にするものと、その限界について ― |
西山哲郎 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
DOING SOCIOLOGY |
死者たちの記憶 |
原田達 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
視点 |
片桐雅隆著『自己の発見 ― 社会学史の ―』 |
芦川晋 |
56巻2号(172号) |
2011年10月 |
書評 |
家庭衛生と窓ガラス ― 一九二〇~三〇年代日本の住宅言説における「明るさ」をめぐって ― |
西川純司 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
ルーマンの社会理論におけるメディア概念の位置と可能性 ― 「システムによる構成」から「システムの発生」をめぐる問題へ ― |
高橋顕也 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
ポスト活字の考古学 ― ありえたかもしれないもう一つの映像文化史 ― |
赤上裕幸 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
墓地をめぐる行政の力と村の意思 ― 中国東北地域の朝鮮族村を事例に ― |
林梅 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
都市における非通念性の複合的生成過程 ― 下位文化理論とコミュニティ解放論の視点から ― |
赤枝尚樹 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
〈音楽の自律性〉の形成におけるメディアの役割 ― 音楽雑誌のベートーヴェン批評を手がかりに ― |
川本彩花 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
人種概念としての「名誉白人」 ― アパルトヘイト期南アフリカの日本人コミュニティに注目して ― |
山本めゆ |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |
病いの物語と身体 ― A・W・フランク「コミュニカティヴな身体」を導きにして ― |
伊藤智樹 |
56巻3号(173号) |
2012年02月 |
論文 |