原田隆司著『震災を生きぬく――阪神・淡路大震災から20年』 |
金菱清 |
62巻2号(190号) |
2017年10月 |
書評 |
Debnár, Miloš, Migration, Whiteness, and Cosmopolitanism: Europeans in Japan |
塩原良和 |
62巻2号(190号) |
2017年10月 |
書評 |
宋基燦著『「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』 |
倉石一郎 |
62巻2号(190号) |
2017年10月 |
書評 |
大卒就職機会における学校歴仮説とコミュニケーション能力――インターネット・パネル調査による計量分析の試み |
吉岡洋介 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
論文 |
保革自己イメージと政府支出への支持――世論研究における分位点回帰の適用 |
池田裕 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
論文 |
トラッキングが高校生の教育期待に及ぼす影響――パネルデータを用いた傾向スコア・マッチングによる検証 |
中西啓喜 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
論文 |
なぞること/立てること――対象の再構成について |
石岡丈昇 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
DOING SOCIOLOGY |
先生!都市ってムズ〜イ! |
菅康弘 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
視点 |
林梅著『中国朝鮮族村落の社会学的研究――自治と権力の相克』 |
足立重和 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
書評 |
濱西栄司著『トゥレーヌ社会学と新しい社会運動理論』 |
樋口直人 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
書評 |
桑原桃音著『大正期の結婚相談――家と恋愛にゆらぐ人びと』 |
デビッド・ノッター |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
書評 |
石田あゆう著『戦時婦人雑誌の広告メディア論』 |
北田暁大 |
62巻3号(191号) |
2018年02月 |
書評 |
インターネット利用は人びとの排外意識を高めるか――操作変数法を用いた因果効果の推定 |
辻大介 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
論文 |
ポストコロニアル・アーバニズムの論点――インフォーマリティ、マテリアリティ、相関性 |
山下嗣太 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
論文 |
ハイブリッド文化としてのフランスの新しいイスラーム――信仰実践を回避する移民第二世代のムスリムの語りから |
山下泰幸 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
論文 |
ポスト・アンダークラスの貧困論に向けて――概念の受容と使用のプラグマティック社会学 |
川野英二 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
DOING SOCIOLOGY |
「橋の下で拾った子」言説の今 |
細辻恵子 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
視点 |
今津孝次郎著『新版 変動社会の教師教育』 |
川北稔 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
書評 |
山本雄二著『ブルマーの謎――〈女子の身体〉と戦後日本』 |
水野英莉 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
書評 |
村田周祐著『空間紛争としての持続的スポーツツーリズム――持続的開発が語らない地域の生活誌』 |
寺岡伸悟 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
書評 |
高誠晩著『〈犠牲者〉のポリティクス――済州4・3/沖縄/台湾2・ 28歴史清算をめぐる苦悩』 |
板垣竜太 |
63巻1号(192号) |
2018年06月 |
書評 |
NGOが産出する「ポジティブ」な「第三世界」女性表象――アシッドバイオレンス根絶運動におけるアクティヴィストの視覚表象を事例に |
近藤凜太朗 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
論文 |
ナショナリズム・ライシテ・道徳的個人主義――フランス第三共和政下の政治的対立とデュルケム |
野々村元希 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
論文 |
明治後期中学校における学校紛擾と学校文化の変容――明治三四年盛岡中学校ストライキの事例 |
太田拓紀 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
論文 |
A・エニョンの媒介理論――音楽的活動の比較社会学に向けて |
吹上裕樹 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
論文 |
「文化人」の生成とリサイクル――寺山修司の実践、およびその解釈の変遷を事例に |
笹部建 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
論文 |
現代日本における外国好感度――歴史家・教科書への信頼と知識所有の影響 |
藤田智博 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
研究ノート |
「山」からみる社会学――その紆余曲折 |
福田恵 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
DOING SOCIOLOGY |
無責任の体系とそのいけにえ |
奥村隆 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
視点 |
鍵本優著『「近代的自我」の社会学――大杉栄・辻潤・正宗白鳥と大正期』 |
森真一 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
中森弘樹著『失踪の社会学――親密性と責任をめぐる試論』 |
桶川泰 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
石原俊著『群島と大学――冷戦ガラパゴスを超えて』 |
野上元 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
朴沙羅著『外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』 |
金泰植 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
土田陽子著『公立高等女学校にみるジェンダー秩序と階層構造――学校・生徒・メディアのダイナミズム』 |
景山佳代子 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
大和礼子著『オトナ親子の同居・近居・援助――夫婦の個人化と性別分業の間』 |
安達正嗣 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
三浦耕吉郎著『エッジを歩く――手紙による差別論』 |
蘭由岐子 |
63巻2号(193号) |
2018年10月 |
書評 |
暴力の上演――一九六〇年代初頭のモデルガンブーム |
高橋由典 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
論文 |
持続的関係を創る相互行為としての物乞い――タンザニア・ダルエスサラームの事例 |
仲尾友貴恵 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
論文 |
多文化主義思想における他者性の否認――批判的人類学の挑戦に学ぶ |
鈴木赳生 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
論文 |
いじめ概念の家族的類似性とその比較研究の方法――定義と文脈を「セット」で捉える試み |
姚逸葦 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
論文 |
AIの社会学――「現実」の終わりと始まり |
柴田悠 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
DOING SOCIOLOGY |
のこす行為の社会学――もしくは〈弱い贈与〉について |
小川伸彦 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
視点 |
飯田剛史著『現代社会における聖と俗――デュルケム・9.11テロ・生駒・在日コリアン』 |
野中亮 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
伊藤公雄著『「戦後」という意味空間』 |
福間良明 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
松井広志著『模型のメディア論――時空間を媒介する「モノ」』 |
西村大志 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
有薗真代著『ハンセン病療養所を生きる――隔離壁を砦に』 |
田原 範子 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
石田淳著『集合論による社会的カテゴリー論の展開――ブール代数と質的比較分析の応用』 |
赤川学 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
野辺陽子著『養子縁組の社会学――〈日本人〉にとっての〈血縁〉とはなにか』 |
和泉 広恵 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
戸江哲理著『和みを紡ぐ――子育てひろばの会話分析』 |
串田秀也 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |
小林和美著『早期留学の社会学――国境を越える韓国の子どもたち』 |
岩井八郎 |
63巻3号(194号) |
2019年02月 |
書評 |