社会学研究会

作田啓一における“分裂”

記事情報

記事タイトル 作田啓一における“分裂”
著者 佐藤裕亮
掲載号 64巻2号(196号)(2019-10)
ページ 3〜20
要約 本稿は、作田啓一(一九二二~二〇一六)の学的営為を、「社会学者」という役割と「文学」から得た人間の生への関心との“分裂”という観点から再構成した。 作田の仕事については一九六〇年代の日本社会論や戦争犯罪に関する研究のほか、ルソー研究、さらに、ドストエフスキーや夏目漱石などの文学作品を用いた「文学社会学」などが知られているほか、「人間の非合理的な生の現れ」である「〈リアル〉の探求」という問題関心の一貫性が指摘されている。それに対して、本稿は作田における“社会学者”としての側面に注目した。作田は一九五〇年代から一九九五年まで大学に籍を置き、社会学の世界に身を置いていたが、一九六〇年ころから自身の社会学者という「役割」に違和感を持ち続けており、つねに自身の中に社会学者としての“分裂”を感じていた。本稿はこれらの事実を踏まえ、作田と社会学との関係を、著作における「社会」への視点の変化をもとに再構成し、彼の業績を、一九六〇年代までの“内面化された「社会(学)」第一期”、一九七〇年前後の”「社会(学)」への疑念:第二期、一九七〇年代から八〇年代にかけての“「社会(学)」との往還:第三期”、一九九〇代後半以降の“「社会(学)」の〈外〉の探求」:第四期”という四期に分類した。従来、作田の仕事については文学から得た人間の生への一貫した関心が指摘されていたが、本稿を通して作田が社会学という知識体系に“拘束”され続けていたことが示された。ただし、たしかに社会学は作田を拘束するものであったが、社会学という知的世界に拘束されていたからこそ、彼は魅力的な仕事を多く残したのである。
要約(英文)
外部URL https://doi.org/10.14959/soshioroji.64.2_3