要約 |
さまざまな学問領域にまたがって営まれる住宅研究のなかで、社会学の独自性はどこにあるのか。この課題に対して社会学は、住宅をそれが置かれている社会的文脈――たとえば、政治や経済、家族など――のもとで探究することで応えようとしてきた。しかし、こうした住宅の社会学は、建造物としての住宅に対する社会学的な分析の可能性を閉ざしてしまったとも言える。こうした問題意識のもと、本論はアクターネットワーク理論の観点から、昭和初期の健康住宅をめぐる科学活動を明らかにすることを目的とする。とりわけ、日本における環境工学のパイオニアとされる藤井厚二に焦点を当てる。 分析の結果、昭和初期の健康住宅は、人や組織、技術、自然という多くのアクターが関わる集団的な科学活動によって成り立っていたことが明らかになった。藤井は、衛生学の知見を用いつつ自らも観測や実験を繰り返すことで環境工学という知識を生み出した。そして、その知識にもとづき間取りや設備、建材を使って風や太陽光に働きかける健康住宅を作りだし、さらには住宅設計競技の審査活動によって環境工学を広めようとした。しかし、健康住宅は藤井一人で行われた活動の所産ではなく、測候所や建築団体、新聞社、電鉄といった組織や、観測器具や住宅設備の技術、さらには太陽光や風、熱などの自然物が参画することで可能になっていた。 これらの結果は、建造物としての住宅もまた集団的な科学活動の産物としてみる必要性を示唆している。これは住宅研究に対して独自の貢献をもたらす点で意義を持つものである。 |